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11月5日(月)
 11月2日(金)、「追悼式」が新体育館で挙行されました。この日は全世界のカトリック教会が「死者の日」として死について黙想し亡くなった方を偲んで冥福を祈ります。
 昨日あたりからめっきり寒くなったこの日、高校生はスーツに身を包んで登校しました。制服とスーツで埋めた会場はそれだけで気が引き締まります。その中を白装束の今田神父が入場されました。
 次第は初めに「招きの祈り」、次いで今年度亡くなった方々の名前を読み上げ、フェルミン校長がその名簿を祭壇に捧げた後、「司祭の祈り」から使徒パウロのコリントの教会への第2の手紙を朗読なさいました。
 「講話 」では、木の葉の舞い落ちる今の季節は、死や命を考えるにふさわしいのではと始められ、イエス・キリストが身をもって教えてくれた「死んでも無くならない命」について説かれました。以下、要約させて頂きます。
 この世において唯一保証できること、それは誰もが何れ死を迎えることであり、命とは人間の根本的問題である。けれどもまだ若い高校生には容易に実感はできないだろう。だが、自身の死ではなくとも近親者や知人の死に遭遇することは避けられない。その時、死というものの重みに臨むことになる。
 自分はカトリックの信者であった両親の元に生まれ、自ら望んだ訳でなかったが幼い頃に洗礼を受けた。そして現在神父の職に就いているわけだが、今明確に言えることは、人間の命は死では終わらないということ。だから死は決して悪いことでも寂しく辛いことでもないこと。
 命は自ら獲得したものではない。一人の例外もなく、生まれたいと思って生まれて来た者はいない。それ故、与えられた命は自分のものでなく、神様から預かったものなのである。したがって何れは父である神の元、帰るべき家に戻り安心して命を安めることができるのである。コリントの手紙に次のように書かれている。
「私たちの地上の住処である幕屋(肉体の意)が滅びても、神によって建物が備えられていることを、私たちは知っています」  この信仰をもって生きてもらいたい。
 静粛な会場内に神父様のお話が浸透するかのようでした。黙想、共同祈願と続いた後、グリー部の美しい歌声をバックに献花に移りました。学校長を初めとして帰天された方のご家族、旧職員の身寄りの方、PTA代表の方、中学高校の生徒会長、全クラスそれぞれの代表と大勢の手に持たれた白ばらが祭壇にしずしずと捧げられました。最後に司祭退堂となり全員が起立して聖歌「いつくしみふかき」を斉唱して終了しました。
 こういう厳かな式典に参加するのも意義のあることと心静かに臨んでいた生徒たちを見て改めて感じ入りました。
  
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