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88年前の今日10月22日はラ・サール会ブラザーが日本に来た日です

今から88年前の1932 年(昭和 7 年)‪10月22日、日本におけるラ・サール‬ 会の活動は、函館の地で 4 名のカナダ人会員によってはじめられました。
フランス語を話すカナダ(モントリオール)からきた 4 人の修道士たちは、そ の地域のカトリック教会を担当しているカナダのドミニコ会の神父たちの招き によって、この地に男の子のためのカトリック学校を開くために、北海道の函館 に来ました。
1934 年(昭和9年)、とても良い広大な土地を買うことができ、この開校計画 について話し合いがされましたが、残念ながら、当時の日本は軍国主義の状態に あり、ラ・サ ール会のこの計画に対して横槍が入り、学校を開くことは不可能 になり、修道士たちは 1936 年(昭和 11 年)に仙台に移動しました。
その後、仙台に修道院を開き、そこで小さな外国語学校を開校しましたが、1936 年と 1940 年に、2人の修道士は満州(中国)に送られ、フランス人とカナダ人宣 教師が中心となって行っている神学校で教えるためにカナダから直接満州に入 る他の修道士たちに加わりました。
4人の修道士の中の3人目の修道士は、‪1941 ‬年、最初の日本人の修道士にな る準備をしている志願者と一緒に日本に戻ってくることができるように、イン ドシナ(現在ベトナム)に志願者と一緒に送られ、後にクアラルンプールに残りました。しかし、 ‪1941‬ 年、第二次世界大戦が始まりました。そのため、外国人の修道士たちは抑留され、本格的な事業は終戦を待たなければなりませんでした。
終戦後、抑留生活の疲れを故郷で癒したラ・サール会員たちは、日本に戻って きました。そして、1948 年(昭和 23 年)、宮城県から児童養護施設開設のための協力を要請され、仙台市光ヶ丘に、「光ヶ丘天使園」(昭和 40 年夏から「ラ・ サール・ホーム」と改称)を建て、 翌年の 1949 年には同じく仙台に、修道士を 養成する養成修道院である修練院が開かれ、1950 年(昭和 25 年)には、鹿児島 県にラ・サール学園、(現在は鹿児島市)を開校しました。そして、来日した 1932 年から 28 年の期間を経て、1960 年(昭和 35 年)、かつて会員たちが来日して はじめての修道院を開いた函館に、高等学校を開校することができました。函館 での開校が遅れた理由としては、戦前に買った土地をラ・サール会に返還するの に 10 年という期間が必要なためでした。そして、翌 1961 年 (昭和 36 年)に は東京に大学生のための学生寮「ラ・サール・ハウス」が生まれ(1982 年(昭 和 57 年閉鎖)、1978 年(昭和 53 年)には同じく東京都日野市に研修所が開かれ、 会の事業はさらにその幅を広げるに至りました。
文章: Brother Andre Labelle FSC (2012) ラ・サール修道会 (c. 1970)
翻訳: 韓 徳 (函館ラ・サール) (2019)

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